魅力的な古き良き建物が、残念ながら移築され、一番最初にあった場所から移動してしまっては、
その建物の魅力は半減してしまう。
明治村や、北海道開拓の村で不自然に整備された区画に、まったく関連性のない順番で
その建物が建って(存在して)いても、気持ちが悪くなる。

海外、ヨーロッパなどで、昔からある街並み・家並みなどの素晴らしい古き良き建物は、
遠い昔その時代から、その場所に理由があって存在し、現在に生き続けているのだから、
見るものに、何も語らずして感動を与えてくれているのだと思う。

 

その建物はなぜそこに建ったのだろうか?

ご先祖様がその場所を選んだ。

日当たりが良かった。

○○に行くのに便利だったから。

家から見える港の出船・入船を見るため。

その場所から見る夕陽を見るため。

その場所から眺める景色が好きだから。

人の流れが多い道路に面しているから。

お客様を迎え入れるため。

銭湯が近かったから。 など

 

その昔、魚を獲る為に生活する為にそこに存在した、建っていた番屋を移築し、
都会のど真ん中で

「さあ、この古き良き建物は、どうだ?」

と言われても魅力は半減。
居酒屋の目的で、天井の古木を酒飲みながら、時々眺めロマンのあった、その当時に思いを…は少しはありの話だが。

その建物を建てた施主様や大工さんに申し訳なく思う。

大工さんは、その建物を建てるにあたって、
その場所に昇る太陽の位置、吹く風、雪、その周りの景色を見るための間取り、周りとの調和、
素敵な庭を生かすための工夫、自分の技量の表現などなど
色々と計算された上で、建てられ、現在いまそこに建っている存在しているのだから。

 

その建物に歴史があるように、居住している居住していた人にも当然ながら歴史あり。
人が生きるために、古代より衣食住が大切であった。

 

しっかり長い人生を生きてきた人。

老人の顔のシワや、しみ、日焼けのあと、意味もなく長くなった眉毛等は、とても魅力的であり、
ダメ押しは、笑顔を向けられてニコッとされた、前歯が抜けていたりすると最高だ。

 

建物がそこに致し方なくその場所に建ったケースもあると思う。
北海道の、北国小樽の長い厳しい冬に耐え、建物の木がいい色に変化し、
冬の日に、太陽に当たり輝くその建物の表情は、
老人のニコッとされた笑顔と、私は同じに見えてしまう。

 

残そうとするその建物が、致し方ない理由で移築されてしまったとしても、
最低その建物身体だけでも残れば幸いか。

 

残そうとする建物が、最初からある場所そこにある意味で、残すことが出来るのであれば、
はじめて身体と、精神居住者と建物の歴史も共に受け継ぐ事が出来るのでは、と勝手に思う。

 

大震災によって、多くの建物が一瞬に消えてしまっても、その土地に住んでいた思い出、
その土地に生きていた事実などの、精神的な部分は永遠に残り続けるのだから。

 

私は、ある人から聞いた
「このまちで生きているのが偶然でも、このまちで生きていく必然を探そう。」という事が
とても大きな心のキーワードになっています。どのようになるかは、己しだい。

建物やその人々の歴史、過去は、もう過ぎてしまったどうしようも無いこと。

だからこそ、永遠に戻らないその歴史をしっかりと見つめ、そこから学ばなければいけないと思います。

要はその建物が、今そこに何故存在しているのか?

建物が大きかろうが、小さかろうが、
居住者が、偉人だろうが、凡人だろうが、
そこには、人間と建物の、それぞれの歴史が必ずあることを
認識しなければいけないと思うんです。

 

何かの縁でその建物と関わり合いを持つこと建物に手を加えたり、その建物で住んで何かをやろうとする人。になった人間は、しっかりと己の責任を以って事に当たらなければいけないのでは、と思います。

 

冬が近くなると、この街では、また古き良き建物が失われていきます。
そんな様子を見て、つい・・・・・。

 

 

文・川嶋王志